日韓ワールドカップメンバー23人一覧|2002年日本代表の所属クラブと戦績を徹底解説
2002年の日韓ワールドカップで、日本代表に選ばれた23人は誰だったのでしょうか。2002 FIFAワールドカップは、2002年5月31日から6月30日まで日本と韓国で開催された、アジア初のワールドカップであり、史上初の2か国共催大会です。日本代表はフィリップ・トルシエ監督のもと、グループHを2勝1分けの無敗で1位通過。決勝トーナメント進出を果たし、日本サッカーの歴史に新たな一歩を刻みました。
この記事では、2002年日韓ワールドカップ日本代表メンバーの登録23人と当時の所属クラブ、海外組4人の内訳、全4試合の結果と得点者をまとめます。さらに、韓国代表との比較や歴代日本代表の海外組の変化も整理し、2026年の視点から当時のチームが残した意味を振り返ります。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 登録メンバー:GK3人、DF5人、MF11人、FW4人の計23人。監督はフィリップ・トルシエ。
- 海外組4人:川口能活、稲本潤一、中田英寿、小野伸二。登録23人の約17%を占めました。
- 大会成績:グループHを勝ち点7で首位通過。決勝トーナメント1回戦でトルコに0-1で敗れ、ベスト16で大会を終えました。
【2002年日韓W杯】日本代表登録23人と当時の所属クラブ一覧
2002年大会の日本代表を率いたのは、フランス出身のフィリップ・トルシエ監督です。1998年フランス大会に続く2度目のワールドカップ出場となった日本は、国内組を中心に、欧州クラブでプレーする選手も組み合わせた23人で本大会に臨みました。
以下は、当時の日本代表メンバーと大会時の所属クラブを整理した一覧です。クラブ名は当時の名称を基本とし、現在の所属先とは区別しています。日本サッカー協会(JFA)の大会記録や当時の代表メンバー資料で確認できる選手を、背番号順にまとめました。
| 背番号 | ポジション | 選手名 | 当時の所属クラブ |
|---|---|---|---|
| 1 | GK | 川口能活 | ポーツマス(イングランド) |
| 2 | DF | 秋田豊 | 鹿島アントラーズ |
| 3 | DF | 松田直樹 | 横浜F・マリノス |
| 4 | DF | 森岡隆三 | 清水エスパルス |
| 5 | MF | 稲本潤一 | アーセナル(イングランド) |
| 6 | MF | 服部年宏 | ジュビロ磐田 |
| 7 | MF | 中田英寿 | パルマ(イタリア) |
| 8 | MF | 森島寛晃 | セレッソ大阪 |
| 9 | FW | 西澤明訓 | セレッソ大阪 |
| 10 | FW | 中山雅史 | ジュビロ磐田 |
| 11 | FW | 鈴木隆行 | 鹿島アントラーズ |
| 12 | GK | 楢崎正剛 | 名古屋グランパスエイト |
| 13 | FW | 柳沢敦 | 鹿島アントラーズ |
| 14 | MF | 三都主アレサンドロ | 清水エスパルス |
| 15 | MF | 福西崇史 | ジュビロ磐田 |
| 16 | DF | 中田浩二 | 鹿島アントラーズ |
| 17 | DF | 宮本恒靖 | ガンバ大阪 |
| 18 | MF | 小野伸二 | フェイエノールト(オランダ) |
| 19 | MF | 小笠原満男 | 鹿島アントラーズ |
| 20 | MF | 明神智和 | 柏レイソル |
| 21 | MF | 戸田和幸 | 清水エスパルス |
| 22 | MF | 市川大祐 | 清水エスパルス |
| 23 | GK | 曽ヶ端準 | 鹿島アントラーズ |
登録メンバーの特徴は、国内クラブに所属する選手が19人を占めていたことです。鹿島アントラーズからは秋田豊、中田浩二、鈴木隆行、柳沢敦、小笠原満男、曽ヶ端準の6人が選出されました。清水エスパルスやジュビロ磐田、セレッソ大阪などからも複数の選手が名を連ねています。
一方、海外組には欧州クラブで経験を積んだ選手が集まりました。日本代表の中心選手として知られる中田英寿に加え、稲本潤一、小野伸二、川口能活が海外での経験を持ち込んだことも、このチームの特徴でした。

【海外組は4人】川口能活・稲本潤一・中田英寿・小野伸二の役割
2002年の日韓ワールドカップで海外クラブに所属していた日本代表選手は4人です。登録23人に対する割合は約17.4%。2020年代の日本代表と比較すると少数ですが、当時の日本サッカーにとって、欧州でプレーする選手が代表の中核を担い始めていたことを示す構成でした。
- 川口能活(ポーツマス):海外でプレーする経験を持つゴールキーパー。日本代表のGK陣を構成する一人でした。
- 稲本潤一(アーセナル):中盤で攻守に関わり、ベルギー戦とロシア戦でゴールを記録。大会序盤の得点源となりました。
- 中田英寿(パルマ):イタリアでの経験を持つ攻撃の中心選手。チュニジア戦では追加点を挙げました。
- 小野伸二(フェイエノールト):オランダでプレーしていた技術力の高いMF。中盤でボールを扱い、攻撃の組み立てに関わりました。
なかでも稲本潤一は、ベルギーとの初戦で67分にゴールを決め、続くロシア戦でも51分に決勝点を記録しました。日本がワールドカップで初勝利を挙げる過程で、海外組の実力を結果として示した選手の一人です。
ただし、2002年の日本代表を海外組だけで説明するのは適切ではありません。国内クラブを拠点とする選手たちもチームの土台を支え、森島寛晃や鈴木隆行、宮本恒靖、戸田和幸らが、それぞれの役割を果たしました。海外組と国内組の融合こそ、当時の代表を理解するうえで欠かせない視点です。
【試合結果と得点者】グループHを1位通過した日本代表の全4試合
日本代表はグループHでベルギー、ロシア、チュニジアと対戦しました。JFAの大会記録によると、初戦は2-2の引き分け、第2戦は1-0の勝利、第3戦は2-0の勝利です。勝ち点7を獲得し、グループHを1位で通過しました。
- 2002年6月4日・ベルギー戦:日本 2-2 ベルギー
得点者は鈴木隆行(59分)、稲本潤一(67分)。相手に先制された後、日本が逆転しましたが、最終的には追いつかれました。日本はワールドカップで初めて勝ち点を獲得しました。 - 2002年6月9日・ロシア戦:日本 1-0 ロシア
得点者は稲本潤一(51分)。日本がワールドカップ本大会で初勝利を挙げた試合です。 - 2002年6月14日・チュニジア戦:日本 2-0 チュニジア
得点者は森島寛晃(48分)、中田英寿(75分)。日本は2連勝を飾り、グループH首位での決勝トーナメント進出を決めました。 - 2002年6月18日・ラウンド16:日本 0-1 トルコ
12分にウミト・ダバラに得点を許し、日本は最後まで追いつくことができませんでした。初のベスト16進出を果たした一方、初の準々決勝進出には届きませんでした。
グループステージの3試合で日本は5得点2失点。ベルギー戦で勝ち点1を得た後、ロシアとチュニジアを連破する展開でした。とくにロシア戦の勝利は、日本がワールドカップ本大会で勝てることを示した歴史的な結果です。
一方、決勝トーナメント1回戦のトルコ戦では、立ち上がりに失点した後、同点ゴールを奪えませんでした。グループステージでの成功と、勝ち上がった先で求められる試合運びの難しさ。その両方が表れた一戦だったといえます。

【戦績を数字で読む】「2勝1分1敗」とグループH首位通過の意味
2002年W杯日本代表の成績を調べる際に注意したいのが、「2勝1分1敗」という数字の意味です。これはグループステージ3試合だけの成績ではなく、決勝トーナメント1回戦を含めた全4試合の戦績です。
グループステージでは2勝1分けで負けがなく、勝ち点7を獲得しました。その後、トルコに敗れたため、大会全体では2勝1分け1敗となります。この2つを区別すると、グループHを首位で突破した実績と、最終的にベスト16で敗退した結果を正確に理解できます。
当時の日本代表の成績を数字で整理すると、次のようになります。
- 大会期間:2002年5月31日~6月30日
- 開催国:日本・韓国
- 日本代表の登録人数:23人
- グループHの最終順位:1位
- グループステージの成績:2勝1分け0敗、勝ち点7
- グループステージの得失点:5得点2失点、得失点差プラス3
- 大会全体の戦績:2勝1分け1敗
- 最終成績:ベスト16
JFAの大会記録では、グループHの2位はベルギーで勝ち点5、3位はロシアで勝ち点3、4位はチュニジアで勝ち点1でした。日本は2位のベルギーに勝ち点2の差をつけて首位に立っています。
この結果の価値は、単に開催国として決勝トーナメントに進んだことだけではありません。1998年のフランス大会で日本はグループステージ3連敗に終わりましたが、2002年には本大会初勝利を挙げ、初めてグループステージを突破しました。4年前との比較は、日本代表がワールドカップの舞台で着実に経験を積んだことを示しています。
【韓国代表と歴代大会を比較】日韓共催が日本サッカーに残したもの
2002 FIFAワールドカップは、日本と韓国が共同開催した初の大会であり、アジアで初めて行われたワールドカップでもあります。大会は5月31日に開幕し、6月30日の決勝でブラジルがドイツを破って優勝しました。出場32チームが参加した全64試合の大会です。
共催国の韓国代表も歴史的な成績を残しました。フース・ヒディンク監督が率いた韓国は、イ・ウンジェ、ホン・ミョンボ、ユ・サンチョル、パク・チソン、アン・ジョンファン、ソル・ギヒョンらを擁し、準決勝に進出。最終的に4位となりました。韓国の国家記録院が公開する大会資料にも、当時の23人の登録メンバーが記録されています。
日本と韓国は同じ大会を戦いながら、異なる成果を残しました。日本はグループHを1位で通過してベスト16に進み、韓国は準決勝まで勝ち上がりました。両国の結果は、開催国としての環境だけでなく、選手層や戦術、試合ごとのパフォーマンスが大会成績に大きく関わることを示しています。
歴代日本代表の構成を比較すると、海外組の増加も大きな変化です。1998年フランス大会では登録22人全員が国内クラブ所属でしたが、2002年大会では23人中4人が海外組となりました。2014年ブラジル大会には12人、2018年ロシア大会には15人、2022年カタール大会には19人の海外組が選ばれています。
2026年の日本代表を考えるうえでも、この変化は重要です。2002年当時は海外組4人が目立つ存在でしたが、その後は欧州をはじめとする海外リーグでプレーする選手が増え、日本代表の選考や競争環境も変わりました。ただし、海外クラブへの所属人数だけでチームの強さが決まるわけではありません。2002年大会が示したように、所属先の違いを超えて選手の能力を組み合わせ、チームとして機能させることが大切です。
当時の日本代表を率いたトルシエ監督は、世代別代表も指揮しながら若手の育成と世代融合を進めました。1999年のFIFAワールドユース選手権で日本が準優勝し、2000年にはA代表がアジアカップを制したことも、2002年大会への期待を高めた背景にあります。中田英寿や小野伸二らの国際経験と、若い世代の成長が重なった点は、このチームを振り返る際の重要な要素です。

【日韓ワールドカップメンバー】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:2002年日韓ワールドカップの日本代表メンバーは何人ですか?
A1:登録メンバーは23人です。GK3人、DF5人、MF11人、FW4人で構成され、監督はフィリップ・トルシエでした。
Q2:2002年の日韓ワールドカップ日本代表の海外組は誰ですか?
A2:川口能活(ポーツマス)、稲本潤一(アーセナル)、中田英寿(パルマ)、小野伸二(フェイエノールト)の4人です。当時の登録23人に占める割合は約17%でした。
Q3:日本代表はグループHを何位で通過しましたか?
A3:勝ち点7の1位で通過しました。ベルギー戦が2-2、ロシア戦が1-0、チュニジア戦が2-0で、グループステージは2勝1分けの無敗でした。
Q4:2002年W杯日本代表の最終成績は何位ですか?
A4:ベスト16です。決勝トーナメント1回戦でトルコと対戦し、ウミト・ダバラの得点によって0-1で敗れました。
Q5:2002年日韓ワールドカップの韓国代表は何位でしたか?
A5:韓国代表は準決勝に進出し、最終成績は4位でした。日本代表がベスト16だったのに対し、韓国はベスト4まで勝ち進み、共催国として歴史的な成績を残しました。
Q6:2002年大会と現在の日本代表では何が違いますか?
A6:大きな違いの一つは、海外クラブ所属選手の人数です。2002年大会の海外組は4人でしたが、その後は増加し、2022年カタール大会では19人となりました。選手の所属先だけでなく、国際経験やチーム内での役割も比較することが大切です。
まとめ:2002年日韓ワールドカップ日本代表23人が残した歴史
2002年日韓ワールドカップの日本代表は、登録23人で大会に臨み、グループHを2勝1分けの無敗で首位通過しました。海外組は川口能活、稲本潤一、中田英寿、小野伸二の4人。決勝トーナメント1回戦ではトルコに0-1で敗れたものの、日本代表にとって初のワールドカップ勝利とベスト16進出を達成した大会でした。
大会記録を読む際には、グループステージの「2勝1分け」と、大会全体の「2勝1分1敗」を区別することがポイントです。また、所属クラブや海外組の人数を比較すると、日本代表が国内中心のチームから、海外で経験を積む選手を数多く擁するチームへと変化してきた流れも見えてきます。
2002年大会の価値は、結果だけでなく、その後の日本サッカーにつながる経験を積んだ点にもあります。23人のメンバー、当時の所属クラブ、試合結果、韓国代表との比較を合わせて見ることで、日韓ワールドカップが日本代表の歴史に残した転換点をより具体的に理解できます。 (出典: 日 韓 ワールド カップ メンバー(Yahoo!ニュース))