『岸辺のアルバム』あらすじ・キャスト・最終回とタイトルの意味を徹底解説【2026年版】
1977年にTBS系で放送されたドラマ『岸辺のアルバム』は、平凡で幸せそうに見える中流家庭が、夫婦の秘密や子どもたちの苦悩をきっかけに崩壊していく姿を描いた作品です。脚本・原作は山田太一。八千草薫、杉浦直樹、竹脇無我、中田喜子、国広富之ら実力派俳優が出演し、全15話を通して「家族とは何か」という難題に切り込みました。
最終回では、多摩川の増水によって一家の住まいが危機にさらされ、家族は思い出の詰まったアルバムを持ち出そうとします。実際に起きた1974年の多摩川水害を背景にしたこの結末は、なぜ今も語り継がれるのでしょうか。2026年の初舞台化によって改めて注目された名作について、放送期間、キャスト、全15話のあらすじ、タイトルの意味、原作小説との違いまで整理します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 放送情報:1977年6月24日から9月30日までTBS系で放送された全15話のドラマ。
- 主要キャスト:八千草薫が妻・田島則子、杉浦直樹が夫・謙作、竹脇無我が則子の不倫相手・北川徹を演じる。
- 最終回の核心:多摩川水害によって家を失う危機と、家族が必死に守ろうとするアルバムが物語の結末を形づくる。
- 名作といわれる理由:理想的な家庭という建前を疑い、人間の孤独や家族の秘密を正面から描いた脚本にある。
- 2026年の動き:春に小林聡美主演で初の舞台化が実現し、作品のテーマが改めて問い直された。
【作品概要】『岸辺のアルバム』はいつ放送された?山田太一が描いた衝撃のホームドラマ
『岸辺のアルバム』は、1977年6月24日から9月30日までTBS系で放送された連続ドラマです。金曜夜10時の放送枠で全15話が展開され、原作・脚本を山田太一が担当しました。プロデューサーは堀川敦厚、制作には大山勝美らが携わっています。
舞台は東京郊外の多摩川沿い。会社員の父、専業主婦の母、大学生の娘、高校生の息子という、当時の日本で理想的とみなされやすかった四人家族が物語の中心です。しかし、その暮らしの内側には、夫婦のすれ違い、仕事上の秘密、親子の断絶、性暴力といった深刻な問題が隠されています。
当時のホームドラマでは、家族が問題を抱えても最後には和解し、家庭の秩序が回復するという展開が珍しくありませんでした。それに対し本作は、登場人物を単純な善人と悪人に分けず、彼らの欲望や弱さ、身勝手さまで描き出します。TBSチャンネルの番組解説も、家庭や親子の関係をめぐる普遍的な問題に正面から取り組んだ作品として紹介しています。
物語の着想には、1974年9月の多摩川水害という現実の災害が関係しています。国土交通省関東地方整備局の多摩川の歴史資料によると、台風16号の豪雨によって狛江市付近の堤防が約260メートルにわたって決壊し、住宅19棟が流出しました。この災害の記憶が、家族の崩壊を描く物語の背景につながっています。
作品の基本情報をまとめると、次のとおりです。
- 放送期間:1977年6月24日〜9月30日
- 放送局:TBS系
- 話数:全15話
- 原作・脚本:山田太一
- プロデューサー:堀川敦厚
- 主題歌:ジャニス・イアン「ウィル・ユー・ダンス」
- 主な受賞歴:第15回ギャラクシー賞、ギャラクシー賞30周年記念賞、第10回テレビ大賞

【キャスト一覧】八千草薫・杉浦直樹・竹脇無我が演じた家族の秘密
『岸辺のアルバム』の大きな見どころは、登場人物それぞれが抱える矛盾を、俳優陣が立体的に表現していることです。家族を守る立場にある父と母も、子どもたちを導くはずの大人も、決して完全な存在ではありません。
| 登場人物 | 出演者 | 役柄と物語上の意味 |
|---|---|---|
| 田島則子 | 八千草薫 | 退屈な日常のなかで孤独を深め、北川との関係に踏み込む専業主婦。 |
| 田島謙作 | 杉浦直樹 | 一家の大黒柱である商社マン。仕事上の秘密や家庭での権威が揺らいでいく。 |
| 田島律子 | 中田喜子 | 大学生の長女。家族に心を閉ざし、恋愛をきっかけに深刻な問題に直面する。 |
| 田島繁 | 国広富之 | 高校生の長男。家族の秘密に気づき、理想としていた家庭の実像に苦しむ。 |
| 北川徹 | 竹脇無我 | 則子に電話をかけ、やがて密会を重ねるようになる男性。 |
| 篠崎雅江 | 風吹ジュン | ハンバーガーショップの店員。繁の恋愛や家出に関わる重要人物。 |
| 堀先生 | 津川雅彦 | 繁の高校時代の担任。律子が深刻な悩みを抱えたときにも関わる。 |
| 秋山絢子 | 沢田雅美 | 謙作の職場に関係する女性。夫婦それぞれの秘密を浮かび上がらせる。 |
| 中田敏雄 | 村野武範 | 謙作の職場や周辺の人間関係を構成する人物。 |
| 沖田信彦 | 新井康弘 | 田島家を取り巻く人間関係に登場する人物。 |
八千草薫が演じた田島則子――良妻賢母のイメージを覆した役柄
本作の主人公の一人である則子は、夫と二人の子どもを支える専業主婦です。周囲から見れば、家庭を守り、家事をこなす穏やかな妻。しかし、家族が外出した昼間の静かな時間に、彼女は満たされない気持ちを抱えています。
そこへ、見知らぬ男性から電話がかかってくるようになります。最初は戸惑っていた則子も、会話を重ねるうちに、誰かに女性として見られることや、自分の話を聞いてもらうことに心を動かされていきます。電話の相手は竹脇無我演じる北川徹です。
八千草薫は、それまでの清楚で貞淑なイメージとは異なる、欲望と孤独を抱えた女性を演じました。則子は単に不倫をする妻なのではありません。自分の人生を家庭の役割だけに収めてきた女性が、個人としての感情を取り戻そうとする一方、その選択によって家族を傷つけてしまう人物でもあります。
原作小説で則子の年齢は39歳でしたが、ドラマの脚本では42歳に設定されています。八千草自身は当時46歳で、年齢や役柄の印象も含め、従来のイメージを大きく更新する挑戦的な配役でした。八千草は本作でテレビ大賞の主演女優賞を受賞しています。
杉浦直樹と竹脇無我が担った二人の男性像
杉浦直樹が演じる田島謙作は、有名大学を卒業した商社マンであり、家庭の経済基盤を支える父親です。しかし、仕事上の問題を抱え、家族には見せない顔を持っています。家族に対して厳格な態度を取る一方、自身もまた、家庭の信頼を損なう秘密を抱えています。
竹脇無我が演じる北川徹は、則子の生活に電話を通じて入り込む男性です。彼は則子の心を揺さぶりますが、北川自身にも妻子がいます。則子との関係だけを見れば恋愛の相手ですが、家族を持つ男性としての姿を知ると、その関係は単純な恋愛物語ではなくなります。
二人の男性は、性格こそ異なるものの、家庭の外に別の顔を持ち、女性との関係を自分の都合で考える点で重なります。ドラマは、家庭の秩序を支えるとされてきた男性側の倫理も厳しく問い直しています。
なお、本作は国広富之のデビュー作としても知られています。若い繁が家族の秘密を知っていく過程は、物語の感情的な軸の一つです。出演者の顔ぶれだけでなく、それぞれの役柄が物語のなかでどう変化するのかに注目すると、全15話の構造がより見えやすくなります。
【全15話のあらすじ】電話から始まる不倫、子どもたちの苦悩、家族崩壊への道
ここからは、最終回までのネタバレを含めて全15話のストーリーを整理します。物語は則子への一本の電話から始まりますが、進行するにつれて父、娘、息子にも問題が広がり、家族全員が互いの秘密と向き合うことになります。
第1話〜第5話:見知らぬ男性との電話が日常を変える
第1話:田島家は、一見すると平和で幸福な四人家族です。しかし、平凡な毎日に退屈を感じていた則子のもとへ、見知らぬ男性から電話がかかってくるようになります。家庭の外から届いた声が、則子の日常に小さな変化をもたらします。
第2話:則子は電話の男性との会話を楽しむようになります。一方、息子の繁はハンバーガーショップで働く雅江から交際を申し込まれ、恋愛に浮き立ちます。母と息子がそれぞれ家庭の外に新たな関心を持ち始めます。
第3話:則子は電話の相手である北川徹と実際に会います。久しぶりに感じるときめきに心を動かされる則子ですが、繁は母親の様子に違和感を覚え、不倫の可能性を疑い始めます。
第4話:則子と北川はデートを重ね、互いの存在が大きくなっていきます。北川は則子に不倫関係を持ちかけ、則子は家庭と自分自身の感情の間で揺れ動きます。
第5話:北川から関係を求められた則子は、もう会わない方がよいと考えます。その一方、夫・謙作の同僚の妻である時枝と知り合い、他人の家庭にもまた、表面からは見えない問題があることが示されます。
第6話〜第10話:秘密が露見し、娘・律子も深刻な危機に直面する
第6話:則子は北川と関係を持ちます。同じ頃、謙作は職場の女性・絢子との関係を考え、繁も雅江との恋愛に向き合います。家族の各人が、自分の欲望や人間関係を通じて、家庭の外側へと踏み出していきます。
第7話:繁は、母がホテルに入るところを目撃してしまいます。信頼していた母親の姿に衝撃を受けた繁は、相手がどのような男性なのか確かめようとします。親子の関係に亀裂が生じる重要な回です。
第8話:則子は繁に、北川とはもう会わないと告げます。しかし、家庭内の問題が解決したわけではありません。繁はアルバイト先で姉・律子の恋人を紹介され、姉の生活にも自分の知らない事情があることを知ります。
第9話:律子は恋人のチャーリーに見捨てられたうえ、その友人から性暴力を受けます。一方、則子は街で妻子を連れた北川を見かけ、彼にも自分の知らない家庭生活があることを改めて突きつけられます。
第10話:性暴力を受けた律子は妊娠していることが分かり、誰にも相談できずに苦しみます。やがて、繁の高校時代の担任だった堀に相談します。律子の問題は、恋愛の失敗だけでは片づけられない深刻なものとして描かれます。
第11話〜第15話:家族写真から多摩川水害の最終回へ
第11話:繁は、父・謙作が仕事を通じて売春に関わっていることを耳にします。さらに雅江から田島家に関する驚くべき事実を聞かされ、両親と姉の問題が自分の想像以上に深いことを知ります。
第12話:家族の秘密を知った繁は、勉強にも身が入らなくなり、精神的に追い詰められていきます。久しぶりに四人がそろった日曜日、田島家は多摩川の岸辺で家族写真を撮影します。表面上の家族の平穏と、内側で進む崩壊との対比が際立つ回です。
第13話:家を飛び出した繁は、雅江の紹介でラーメン店に住み込みで働くようになります。一方、謙作と則子は話し合う機会を持ち、夫婦の関係を見つめ直そうとします。しかし、話し合いだけで家族の問題が解消するわけではありません。
第14話:謙作は泥酔などを経て体調を崩し、坐骨神経痛で倒れて自宅療養となります。繁は見舞いに訪れますが、謙作に追い返されてしまいます。さらに律子が結婚したいと告げ、謙作は激怒します。親子の断絶が一段と深まります。
第15話・最終回:多摩川が増水し、周辺に避難命令が出されます。久しぶりに家族四人がそろい、田島家の人々は避難に際してアルバムを持ち出そうとします。しかし、家族が暮らしてきた住まいそのものが流失の危機にさらされ、物語は家の崩壊という衝撃的なクライマックスを迎えます。
この15話を通して重要なのは、問題が一つ解決すれば家庭が元に戻るという構造ではないことです。則子の不倫、謙作の仕事上の秘密、律子が受けた性暴力、繁の苦悩は、それぞれ別の問題でありながら、家族が互いを理解していなかった事実を浮かび上がらせます。
そして第12話の家族写真は、最終回でアルバムを持ち出そうとする行動とつながります。家族が一緒に写った写真が残っていても、その家族が心から分かり合えているとは限らない。本作は、その食い違いを最後まで描き続けるのです。
【最終回ネタバレ】多摩川水害で家が流される結末は何を意味するのか
『岸辺のアルバム』の最終回が強烈な印象を残すのは、それまで心理的に進んできた家族崩壊が、最後には住まいの物理的な崩壊と重なるからです。
田島家の人々は、それぞれの秘密を抱えながらも同じ家で暮らしてきました。ところが、洪水によって家そのものが失われる危険が迫ると、彼らはアルバムを持ち出そうとします。家の中に残された家具や生活用品以上に、家族の記録が重要なものとして扱われるのです。
現実の多摩川水害とドラマの接点
物語の背景にあるのは、1974年9月1日に発生した多摩川水害です。台風16号による豪雨で、東京都狛江市付近の堤防が決壊し、19棟の住宅が流出しました。国土交通省関東地方整備局の資料にも、この災害の記録が残されています。
この現実の出来事を物語のクライマックスに結びつけることで、ドラマは架空の家族の問題を、単なる家庭内の揉め事にとどめません。どれほど社会的な地位があり、安定した生活を築いたつもりでも、家や財産、日常生活は一瞬で失われる可能性があります。
最終回の水害は、家族の問題を魔法のように解決する装置でもありません。家を失ったからといって、それまでの秘密や傷が消えるわけではないからです。むしろ、生活の基盤が崩れたときに、人々が何を残そうとするのかを問いかける場面になっています。
なぜ家族はアルバムを持ち出そうとしたのか
アルバムには、家族が一緒に暮らしていた時間が記録されています。写真の中の家族は、現実の家族関係がどれほど複雑であっても、一枚の写真の中では同じ場所に並び、同じ瞬間を共有しています。
だからこそ、アルバムを救い出そうとする行動には、失われる家や生活の記憶を手元に残そうとする切実さがあります。しかし、その行動を単純に「家族の絆が最後に勝った」と解釈するだけでは、本作が描いてきた矛盾を見落としてしまいます。
家族の記録が残っても、家族の関係が理想的だったことの証明にはなりません。反対に、家族が互いを傷つけていたとしても、一緒に過ごした時間そのものが無意味になるわけでもありません。最終回のアルバムは、その二つの事実を同時に抱える存在として読み取れます。
【タイトルの意味】『岸辺のアルバム』は家族の絆を象徴する作品なのか
タイトルの「岸辺」と「アルバム」は、どちらも最終回だけでなく、物語全体を読み解く手がかりです。岸辺は田島家が暮らす場所であり、家族写真を撮影する場所でもあります。一方、アルバムは、家族がどのような暮らしを送ってきたのかを記録するものです。
しかし、この作品におけるアルバムは、単純に幸福な家族の象徴とはいえません。
第12話の家族写真に潜む違和感
第12話では、家族四人が多摩川の岸辺で写真を撮ります。しかし、その時点ですでに、則子の不倫、謙作の秘密、律子の深刻な問題、繁の苦悩が重なっています。写真に写る家族の姿と、各人が抱えている現実は一致していません。
この場面では、家族写真が平和な家庭の証明ではなく、むしろ「平和そうに見えること」と「実際に平和であること」の違いを際立たせています。外から見れば何の問題もない家庭でも、内側には誰にも打ち明けられない孤独が存在する。その構図が、タイトルの意味を複雑にしています。
アルバムを家族愛の単純な教訓にしない
山田太一自身は、本作のタイトルや結末を「家族写真は大切だ」という単純な教訓に還元する読み方を否定しています。家族がアルバムを持ち出そうとしたことだけを取り上げて、最後には家族の絆が確認されたと結論づけるのでは、物語の厳しさが薄れてしまうからです。
アルバムは、家族が互いを完全に理解していた証拠ではありません。むしろ、互いに隠し事をし、傷つけ合いながらも、同じ時間と場所を共有してきたという事実を残すものです。
この視点から考えると、タイトルには二重の意味が生まれます。岸辺で撮られた写真は、家族の平穏な姿を記録する一方で、その平穏がどれほど危ういものだったかも示します。そして洪水の後に残そうとされるアルバムは、失われた暮らしを振り返るための記録になります。
つまり本作が問いかけるのは、「家族写真を残すべきか」という問題ではありません。写真に残った姿と、実際に生きていた人々の姿との間にある隔たりを、私たちはどう受け止めるのかという問いです。

【名作といわれる理由】ギャラクシー賞受賞と現在まで続く作品評価
『岸辺のアルバム』は、第15回ギャラクシー賞とギャラクシー賞30周年記念賞を受賞しています。また、第10回テレビ大賞でも評価されました。放送ライブラリーの番組記録にも、受賞歴と全15回の放送情報が記載されています。
こうした受賞歴に加え、本作がテレビドラマ史に残る作品として語られる理由は、家庭を扱うドラマの前提を大きく揺さぶった点にあります。
1.登場人物を善悪だけで裁かない
則子の不倫は家族を傷つける行為ですが、彼女が孤独を感じていたことも描かれます。謙作は家庭を支える父親である一方、仕事や女性関係に秘密を抱えています。律子と繁も、ただ親に反抗する子どもではなく、大人の世界の矛盾に巻き込まれていきます。
登場人物の行動を無条件に正当化することも、単純に断罪することもしない。この描き方によって、視聴者は「誰が悪いのか」だけでは答えられない問いに向き合うことになります。
2.家庭の問題を社会の問題へ広げた
田島家は特別な富豪でも、極端に特殊な家庭でもありません。だからこそ、会社員として働く父、家事を担う母、進学や恋愛に悩む子どもたちという構成が、物語の衝撃を強めています。
父親の仕事上の秘密、女性の立場、子どもたちが受ける被害、家庭内のコミュニケーション不足は、個人の性格だけでは説明できません。家庭の外にある社会的な価値観や権力関係も、家族の内部に影響を与えているからです。
3.現実の水害を結末に結びつけた
1974年の多摩川水害という実際の災害を背景に据えたことで、最終回は単なる比喩にとどまらない切迫感を持ちます。長年暮らした家が失われる可能性と、家族の秘密が明らかになっていく過程が重なり、物語の終盤に強い緊張を生み出します。
家が流されることは、家族が抱えてきた問題の解決を意味しません。しかし、生活の基盤が失われる瞬間に、家族が何を大切にしようとするのかが露わになります。こうした構成が、最終回を単なる悲劇以上のものにしています。
4.放送当時の評価と後年の評価は同じではない
興味深いのは、山田太一がインタビューで、放送当時の視聴率はよくなかったと振り返っていることです。WEB本の雑誌のインタビューでは、再放送を重ねるうちに名作と呼ばれるようになったという趣旨の発言も紹介されています。
これは、放送時の視聴率と、長い時間を経て定着する作品評価が必ずしも一致しないことを示しています。放送当時の視聴者にとっては、家庭の暗部を露骨に描く内容が受け入れにくかった可能性があります。一方、再放送を通じて作品に触れた人々にとっては、登場人物の複雑さや、家族をめぐる問いの鋭さが改めて評価されるようになったと考えられます。
2026年には初の舞台化で再び注目
2026年には『岸辺のアルバム』が初めて舞台化され、東京芸術劇場シアターイーストで4月3日から26日まで上演されました。大阪公演も5月1日から4日まで行われ、小林聡美が則子役を演じました。
舞台化は、単に懐かしいテレビドラマを再現するだけではありません。家族の役割、女性の孤独、親子の断絶といったテーマを、異なる時代の観客がどう受け止めるのかを考える機会にもなります。約半世紀前に描かれた物語が再解釈されること自体、本作の問題提起が過去のものになっていないことを示しています。
もちろん、作品評価は視聴者によって異なります。複雑な人間関係や性暴力を扱う場面は、今見ても重く感じられるでしょう。それでも、登場人物の行動を一つの道徳的な答えにまとめず、家族という関係の矛盾を描き続けたことが、本作の評価を支える大きな要素になっています。
【原作小説とドラマの違い】山田太一が自ら書き直した物語の魅力
『岸辺のアルバム』には、テレビドラマに先立つ原作小説があります。1976年から1977年にかけて、東京新聞、中日新聞、北海道新聞、西日本新聞などに連載されました。小説とドラマの原作・脚本を同じ山田太一が担当している点が特徴です。
したがって、本作は別の作家の小説を脚本家が映像化した作品とは事情が異なります。作者自身が小説とテレビドラマの両方を手がけ、それぞれの形式に合わせて物語を組み立て直しています。
小説は連載作品、ドラマは全15話の映像作品
新聞連載の小説は、読者が日々の生活のなかで少しずつ読み進める形式です。一方、テレビドラマは、一話ごとの展開や俳優の演技、映像、音楽によって人物の感情を伝えます。同じ出来事を描く場合でも、物語の進め方や印象は異なります。
山田太一はインタビューで、小説を執筆する際に想定していた連載回数のなかに収めきれなかったエピソードがあったことや、ドラマ化では小説を見直しながら脚本を書けたことを語っています。本人は、主観的にはドラマの脚本のほうがよいものを書けたと感じていた旨も明かしています。
この発言から分かるのは、ドラマが小説をそのまま短くしただけの作品ではないということです。15話という限られた構成のなかで、人物の秘密が明らかになる順序や、家族が追い詰められていく流れを映像向けに組み直しています。
則子の年齢設定にも違いがある
具体的な違いの一つが、則子の年齢です。原作小説では39歳だった則子が、ドラマの脚本では42歳に変更されています。八千草薫が演じた則子は、家庭を支える妻という役割と、個人としての欲望との間で揺れ動く人物です。年齢設定の違いも、物語を読み比べる際の注目点になります。
また、小説では文章によって人物の心情や背景を読み取るのに対し、ドラマでは表情や沈黙、声の調子、人物同士の距離感が重要になります。則子が北川の電話を待つようになる変化や、繁が母の秘密を知ったときの動揺は、映像作品ならではの表現によって伝わります。
原作小説を先に読むと、登場人物の内面や物語の構成をじっくり考えられます。ドラマから見ると、俳優の演技や演出によって、登場人物の矛盾を直感的に受け止めやすくなります。両方に触れることで、同じ作者が異なる表現形式をどう使い分けたのかが見えてきます。
【岸辺のアルバム】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:『岸辺のアルバム』はいつ放送され、全何話ですか?
A1:1977年6月24日から9月30日までTBS系で放送されました。全15話で、原作・脚本は山田太一です。
Q2:竹脇無我は何役で出演していますか?
A2:竹脇無我は、八千草薫演じる田島則子の不倫相手である北川徹を演じています。北川からの電話が、則子の生活を変える物語の出発点になります。
Q3:最終回でアルバムはどうなりますか?
A3:多摩川の増水によって家が危機にさらされるなか、田島家の人々は家族の記録であるアルバムを持ち出そうとします。家を失う危機とアルバムを守ろうとする行動が、最終回の重要な場面です。
Q4:『岸辺のアルバム』のタイトルにはどんな意味がありますか?
A4:家族が岸辺で撮った写真と、家族の歴史を記録するアルバムが物語の重要な要素になっています。ただし、作者の山田太一は、結末を単純に「家族写真は大切だ」という教訓にまとめる読み方を否定しています。アルバムは、理想的な家庭の証明ではなく、矛盾を抱えた家族が共有した時間の記録として考えることができます。
Q5:原作小説とテレビドラマは同じ内容ですか?
A5:原作小説とドラマは同じ山田太一が手がけていますが、表現形式や構成は異なります。作者自身が小説を見直しながら脚本を書いており、ドラマでは全15話の展開に合わせて物語が再構成されています。
まとめ:【プロの結論】『岸辺のアルバム』が2026年にも問いかける家族の現実
『岸辺のアルバム』が名作と評される理由は、家族を理想化せず、愛情と身勝手さ、支え合いと断絶が同じ家庭のなかに存在することを描き切った点にあります。
八千草薫が演じる則子の孤独、杉浦直樹演じる謙作の秘密、竹脇無我演じる北川との関係、そして中田喜子と国広富之が演じる子どもたちの苦悩。それぞれの問題が重なり合うことで、田島家は外から見た幸福な家庭という姿を保てなくなります。
最終回の多摩川水害は、1974年に実際に起きた災害の記憶と結びついています。家を失う危機に直面した家族がアルバムを持ち出そうとする場面は、家族の絆を単純に肯定する結末ではありません。失われる暮らしの記憶を守ろうとする行動と、家族が抱えてきた矛盾の両方を残しています。
2026年の舞台化をきっかけに本作に触れるなら、注目したいのは「誰が悪かったのか」という判定だけではありません。なぜ則子は孤独を深めたのか。なぜ家族は互いの苦しみに気づけなかったのか。そして、同じ時間を過ごした人々の記録は何を証明し、何を証明できないのか。こうした問いを意識すると、作品の奥行きがより鮮明になります。
『岸辺のアルバム』は、家族の秘密が暴かれていく衝撃的なドラマであると同時に、家庭という場所を支えているものの危うさを描いた作品です。全15話の物語と最終回の意味を振り返ることは、昭和のテレビドラマ史を知るだけでなく、家族という関係を改めて考える手がかりにもなります。 (出典: 岸辺 の アルバム(Yahoo!ニュース))