日馬富士公平の現在は?安馬時代から第70代横綱、2017年引退後の活動まで徹底解説
元大相撲第70代横綱の日馬富士公平(はるまふじ・こうへい)氏は、幕内優勝9回を誇る実力者として知られる一方、2017年の暴行問題による現役引退でも大きな注目を集めました。2026年現在は、母国モンゴルで教育事業に取り組み、学校法人「新モンゴル日馬富士学園」の理事長として子どもたちの育成に携わっています。
本名はダワーニャム・ビャンバドルジ。入門当初の四股名「安馬」から「日馬富士」へ改名した理由や、四股名に含まれる「公平」の由来、朝青龍ら同世代のモンゴル出身力士とのつながり、引退後の医療支援まで、その歩みには相撲以外の側面もあります。日本相撲協会の公式記録や2026年の教育交流に関する報道を手がかりに、人物像と現在の活動を整理します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 人物プロフィール:1984年4月14日生まれ、本名はダワーニャム・ビャンバドルジ。第70代横綱として幕内優勝9回を記録。
- 引退の経緯:2017年11月29日、貴ノ岩への暴行問題の責任を取り、現役を引退した。
- 2026年の現在:モンゴルの新モンゴル日馬富士学園の理事長として教育事業を推進。日本の大学や自治体との交流も進めている。
【日馬富士公平のプロフィール】本名・出身地・「公平」の由来を解説
日馬富士公平氏は、モンゴル出身の元大相撲力士です。日本相撲協会の歴代横綱プロフィールでは、第70代横綱として2012年11月から2017年11月まで在位した記録が掲載されています。
日本で広く知られる「日馬富士公平」は、四股名と四股名に付随する名前を合わせた表記です。本名はダワーニャム・ビャンバドルジ(Davaanyamyn Byambadorj)。引退後の報道では、元横綱日馬富士のダワーニャム・ビャンバドルジ氏と紹介されることもあります。
基本プロフィールをまとめると、次のとおりです。
- 生年月日:1984年4月14日
- 2026年の年齢:42歳
- 本名:ダワーニャム・ビャンバドルジ
- 四股名:安馬から日馬富士へ改名
- 最高位:第70代横綱
- 出身地:日本相撲協会の公式プロフィールではモンゴル・ゴビアルタイ
- 身長・体重:186cm・137kg
- 得意技:右四つ・寄り
- 幕内優勝:9回
- 引退:2017年11月
出身地については、少し補足が必要です。日本相撲協会の公式プロフィールにはゴビアルタイと記載されています。一方、人物紹介資料では、実際に生まれ育った場所は首都ウランバートル市内とされています。取組前の場内アナウンスでは、父ダワーニャム氏の出身地であるゴビアルタイ県が紹介されていたという事情もあり、両方の地名が見られます。
「公平」という名前にも背景があります。安馬時代から使われていたこの名前は、日馬富士氏が「日本の父」と慕った後援会長の小巻公平氏にちなんだものです。土俵上の実績だけでなく、日本で相撲人生を築く過程で出会った支援者との縁も、人物を知るうえで欠かせない要素です。

【安馬から第70代横綱へ】日馬富士の経歴と相撲人生を年表で整理
日馬富士氏の相撲人生は、幼少期のモンゴルでの経験から始まります。父親は警察官で、モンゴル相撲のブフでも国家ザーンの地位にあった人物です。日馬富士氏は3人兄弟の末っ子として育ち、幼いころから兄と相撲を取っていたとされています。
ウランバートルでは柔道クラブにも通い、後に日本の大相撲で活躍する朝青龍、朝赤龍、時天空らと稽古をした経験も伝えられています。こうした幼少期の鍛錬が、来日後の相撲人生につながっていきました。
日本相撲協会の公式プロフィールと歴代横綱の記録をもとに、主な節目をまとめました。
| 時期 | 出来事 | 主なポイント |
|---|---|---|
| 2000年 | 来日 | 16歳で日本へ渡り、相撲界を目指す。 |
| 2001年1月 | 初土俵 | 「安馬」の四股名で大相撲デビュー。 |
| 2004年3月 | 新十両 | 関取への昇進を果たす。 |
| 2004年11月 | 新入幕 | 幕内力士として上位を目指す。 |
| 2009年1月 | 大関昇進・改名 | 「日馬富士」に改名。 |
| 2012年11月 | 第70代横綱に昇進 | 横綱在位は2017年11月まで。 |
| 2017年9月 | 幕内優勝 | 現役最後の幕内優勝を記録。 |
| 2017年11月29日 | 現役引退 | 貴ノ岩への暴行問題の責任を取り、引退を表明。 |
| 引退後 | 教育・社会活動 | モンゴルでの学校運営や日本との教育交流に取り組む。 |
| 2026年 | 教育交流を推進 | 大学や自治体との交流、教育環境の充実に取り組む。 |
日本相撲協会の公式記録によると、日馬富士氏の生涯戦歴は827勝444敗85休、幕内戦歴は712勝373敗85休です。幕内優勝9回に加え、殊勲賞4回、敢闘賞1回、技能賞5回を受賞しています。
横綱昇進後も安定した成績を残し、2017年9月場所では優勝を達成しました。ところが、そのわずか約2か月後、暴行問題を受けて現役生活を終えることになります。競技者としての輝かしい記録と、引退に至った経緯は、分けて理解する必要があります。
【安馬の改名理由とは?】日馬富士の四股名と横綱時代の強さ
「安馬」から「日馬富士」への改名は、2009年1月場所の大関昇進に伴うものでした。日本相撲協会の公式プロフィールにも、四股名の履歴は「安馬 → 日馬富士」と記録されています。
改名については、旧四股名の「馬」を残しながら、師匠である元横綱旭富士の四股名に使われた「富士」を受け継いだことが、命名の背景として紹介されています。「日」は太陽を連想させる文字で、新しい四股名には大関としての出発を象徴する意味合いも感じられます。
一方、「公平」は改名後も含めて使われる名前で、前述のとおり後援会長の小巻公平氏に由来します。「日馬富士」という四股名の由来と、「公平」という名前の由来は別の話です。この2つを混同しないことが、人物プロフィールを正しく理解するポイントです。
日馬富士氏の相撲の特徴は、身長186cm、体重137kgという体格に加え、鋭い立ち合いと素早い攻めを生かした取り口でした。日本相撲協会の公式プロフィールでは、得意技は右四つ・寄りとされています。
幕内の決まり手傾向でも、寄り切りが最も多く、押し出しや上手出し投げも記録されています。単純な体格の大きさに頼るのではなく、立ち合いから相手の体勢を崩し、攻めの流れを途切れさせないことが持ち味でした。
また、モンゴル出身力士の活躍を語る際には、朝青龍、朝赤龍、時天空らとのつながりも見逃せません。幼少期から同じ地域の相撲・柔道文化に触れた経験は、日本の大相撲にモンゴル出身の力士が進出していく流れを理解するうえでも興味深い背景です。ただし、それぞれの力士の競技歴や功績は異なり、同じ経歴として一括りにすることはできません。

【2017年の日馬富士引退】貴ノ岩への暴行問題と引退の経緯
日馬富士氏の現役生活を語るうえで避けられないのが、2017年に発覚した貴ノ岩への暴行問題です。問題となったのは、鳥取巡業前日の10月25日夜、鳥取市内で開かれた酒席での出来事でした。
当時の報道によると、日馬富士氏は同席していた後輩力士の貴ノ岩に暴行し、頭部にけがを負わせました。ビール瓶を使ったとする当初の報道もありましたが、日馬富士氏はその点を否定する一方、殴った事実自体は認めていました。
11月14日に問題が明らかになると、日本相撲協会の危機管理委員会や鳥取県警による調査が進められ、相撲界全体に波紋が広がりました。横綱には競技成績だけでなく、土俵内外で模範となる姿勢も求められます。その立場にあった日馬富士氏の行為は、厳しい批判の対象になりました。
そして、2017年11月29日、日馬富士氏は日本相撲協会に引退届を提出し、受理されました。同日の引退会見では、横綱としての責任を理由に挙げ、相撲ファンや関係者に謝罪しています。引退は、協会による処分が確定する前の決断でした。
その後、傷害罪で略式起訴され、鳥取簡易裁判所から罰金50万円の略式命令を受けたことも報じられています。したがって、引退を単に「本人の意思で相撲を辞めた」とだけ説明するのは不十分です。暴行問題への責任、横綱という地位への社会的期待、協会の調査や処分をめぐる状況が重なった結果でした。
また、引退後に教育や慈善活動に取り組んでいることは、2017年の問題をなかったことにするものではありません。競技者としての実績、問題行為への責任、引退後の社会活動は、それぞれ別の観点から評価する必要があります。
【日馬富士公平の現在】2026年はモンゴルの学校理事長として活動
2026年の日馬富士公平氏を理解するうえで、中心となるのがモンゴルでの教育事業です。引退後、日馬富士氏は母国で学校を設立し、幼稚園から高校までの教育を担う「新モンゴル日馬富士学園」の理事長を務めています。
2026年4月のABS秋田放送の報道では、同学園には幼稚園児から高校生まで2,000人余りが在籍していると紹介されました。学校の運営は、引退後の活動のなかでも継続性と社会的な広がりが確認できる取り組みです。
日馬富士氏は、教育について「教育はどこの国ともつながる道」という趣旨を語り、相撲で培った礼儀や人との縁を子どもたちに伝える姿勢を示しています。力士時代に培った知名度を、学校運営や人材育成に生かしている点が特徴です。
2026年には、日本の大学や自治体との交流も報じられています。
- 2026年3月:秋田大学が、新モンゴル日馬富士学園理事長による表敬訪問を公表。モンゴル人留学生や大学関係者との交流が行われました。
- 2026年春:ABS秋田放送は、学園と秋田県立大学との連携を取り上げ、学生・教員の交流や留学生の受け入れに向けた取り組みを紹介しました。
- 2026年5月7日:広島テレビの報道によると、広島県安芸高田市の小学校で使われていた机と椅子400セットを、モンゴルの学校へ寄贈する計画が発表されました。
机と椅子の寄贈に際して、日馬富士氏は「この机・イスでモンゴルの子どもたちが、自分の夢に向けて勉強できる」と話しています。地域の学校で使われてきた備品を、別の国の子どもたちの学習環境に生かす取り組みです。
このほか、教育機関の紹介資料では、学園で生産した牛乳を給食に提供するためのミルクファームの運営も紹介されています。学力だけでなく、健康や生活環境にも目を向けた学校づくりを進めていることがうかがえます。
2026年10月時点で公表されている活動を踏まえると、日馬富士氏の現在は、相撲界への復帰を中心とするものではなく、教育を通じてモンゴルの子どもたちを育て、日本との交流を広げる方向にあります。

【医療支援と慈善活動】ハートセービングプロジェクトでの取り組み
日馬富士氏の引退後の活動を考える際には、教育事業だけでなく、現役時代から続けてきた医療支援や慈善活動も重要です。
日馬富士氏は、心臓病の子どもを支援するNPO「ハートセービングプロジェクト(HSP)」の会員として活動してきました。同団体による紹介記事では、医療体制が十分に整っていないモンゴルの地方で子どもたちの検診を行うため、現役時代の懸賞金を検診費用に充てていたことが伝えられています。
支援はモンゴル国内だけにとどまりません。日本の小児循環器病棟への慰問活動にも参加し、子どもたちと交流してきました。また、首都ウランバートルでは、視覚・聴覚障害者のための雇用施設の運営にも携わっていると紹介されています。
こうした活動の背景として、HSPのインタビュー記事では、父親から幼いころより「人のために尽くす人間となれ」と教えられて育ったことが挙げられています。競技で得た収入や社会的なつながりを、支援が必要な人々に還元するという考え方が、慈善活動に表れています。
日馬富士氏の支援活動には、地方の子どもたちの健康診断、病院への慰問、障害者の雇用支援、学校運営など、複数の領域があります。それぞれ対象も仕組みも異なりますが、子どもや社会的に支援を必要とする人々の環境改善に関わっている点は共通しています。
ただし、慈善活動の実績と2017年の暴行問題は、同じ尺度で相殺できるものではありません。社会貢献が行われていることは具体的な活動記録から評価できる一方、暴行問題への責任も歴史的事実として残ります。人物を評価する際には、好意的な逸話だけを取り上げたり、過去の問題だけですべてを説明したりするのではなく、両方を把握する姿勢が求められます。
【プロの結論】日馬富士公平を評価する3つの視点
日馬富士公平氏の人物像を理解するなら、次の3点を分けて考えると、経歴をより立体的に捉えられます。
- 競技者としての実績:幕内優勝9回、通算827勝という数字は、日本相撲協会の公式記録で確認できる成果です。
- 引退に至った責任:2017年の暴行問題は、本人の謝罪と引退、刑事手続きにまで至った出来事です。横綱の地位と社会的責任を考えるうえで、避けて通れません。
- 引退後の社会活動:学校運営、医療支援、日本との教育交流は、関係団体や教育機関の活動記録、報道によって具体的にたどることができます。
この3つを区別すると、日馬富士氏を単なる「強かった横綱」や「暴行問題で引退した力士」という一面的な説明にとどめず、競技者としての成果、責任を問われた過去、現在の社会活動をそれぞれ把握できます。
【日馬富士公平】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:日馬富士公平の本名は何ですか?
A1:本名はダワーニャム・ビャンバドルジです。「日馬富士公平」は日本の大相撲で使われていた四股名と名前の表記で、引退後の報道では本名で紹介されることもあります。
Q2:日馬富士はなぜ「安馬」から改名したのですか?
A2:2009年1月場所の大関昇進に伴って「日馬富士」に改名しました。「馬」は旧四股名から、「富士」は師匠の元横綱旭富士に由来するものとして紹介されています。「公平」は後援会長の小巻公平氏にちなんだ名前です。
Q3:日馬富士は何回優勝し、いつ横綱になりましたか?
A3:幕内優勝は9回です。2012年11月場所から第70代横綱として在位し、2017年11月に現役を引退しました。
Q4:日馬富士の引退理由は何ですか?
A4:2017年に発覚した貴ノ岩への暴行問題の責任を取り、同年11月29日に引退しました。本人は引退会見で謝罪し、横綱としての責任を理由に挙げています。その後、傷害罪に関する刑事手続きも報じられました。
Q5:日馬富士は2026年現在、何をしていますか?
A5:モンゴルの新モンゴル日馬富士学園で理事長を務め、幼稚園から高校までの教育事業に携わっています。2026年には日本の大学との教育交流や、学校で使う備品の寄贈に関する活動も報じられています。
Q6:日馬富士は医療支援や慈善活動も行っていたのですか?
A6:はい。ハートセービングプロジェクト(HSP)の会員として、モンゴルの子どもたちの心臓病検診に関する支援や、日本の小児循環器病棟への慰問などに携わってきました。障害者の雇用支援や学校運営も、社会活動の一部として紹介されています。
まとめ:2026年の日馬富士公平を理解するための判断基準
日馬富士公平氏は、安馬として初土俵を踏み、第70代横綱に昇進して幕内優勝9回を記録した元大相撲力士です。本名はダワーニャム・ビャンバドルジ。「公平」は後援会長の小巻公平氏にちなんだ名前で、「日馬富士」への改名は2009年の大関昇進に伴うものでした。
2017年11月の引退は、貴ノ岩への暴行問題を受けたものであり、競技者としての輝かしい実績とは切り分けて理解する必要があります。その一方、引退後はモンゴルで教育事業を進め、医療支援や障害者の雇用支援にも関わってきました。
2026年には、新モンゴル日馬富士学園の理事長として、2,000人余りの園児・児童・生徒が在籍する教育環境を支え、日本の大学や自治体との交流を進めています。現役時代の相撲で築いた経験や人脈を、次世代の育成に生かしていることが、現在の活動を特徴づけています。
日馬富士公平氏の歩みを追う際は、相撲の成績、引退に至った経緯、引退後の社会貢献という3つの側面をそれぞれ確認することが大切です。今後も教育交流や学校運営の取り組みがどのように広がっていくかが、2026年以降の活動を知るうえで注目されます。 (出典: 日 馬 富士 公平(Yahoo!ニュース))