「どちらにしようかな」続きの地域差を徹底解剖!柿の種や鉄砲の謎と真相
幼少期、友だちとのお菓子選びや鬼ごっこの鬼決めなど、二者択一の場面で誰もが無意識に口ずさんだわらべうた「どちらにしようかな 天の神様の言う通り」。大人になり、職場や大学などで他県出身者と雑談していて「えっ、続きの歌詞、それ何!?」とカルチャーショックを受けた経験を持つ人は決して少なくありません。
「鉄砲撃ってバンバンバン」「なのになぜか柿の種」「ぷっとこいてぷっぷっぷ」――神聖な神頼みで始まったはずのフレーズが、なぜか突如として玩具の銃撃戦や駄菓子、果てはお下品な擬音へと転がり落ちていくカオスな世界観。全国各地で採取された膨大なバリエーションを紐解くと、そこには日本の言語文化の豊かさと、子ども社会特有の心理メカニズムが鮮やかに浮かび上がってきます。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:「どちらにしようかな」の続きは全国で細分化されており、関東の「鉄砲撃ってバンバンバン」、関西の「なのになぜか柿の種」、九州の太鼓やご飯粒など、地域固有の言語感覚が色濃く反映されている。
- 要点2:神聖な神託から突拍子もないフレーズへと展開する背景には、子ども特有の「押韻(ライム)の快感」と、狙った選択肢に無理やり着地させる「結末の帳尻合わせ(操作)」という心理的動機が存在する。
- 要点3:数え歌の発祥と由来は古代・中世の「託宣(神意伺い)」や辻占いにルーツを持ち、文字を持たない口承文芸として、大人の管理から外れた路地裏の子ども共同体で独自進化を遂げた文化遺産である。
【全国調査】なぜここまで違う?「どちらにしようかな」続きの地域差一覧
「どちらにしようかな」に続くフレーズは、日本各地の小学校区や集落単位ですら異なる微細なグラデーションを描いています。文部科学省の唱歌のように教科書で教えられたものではなく、子どもたちの口伝えだけで何世代にもわたって継承されてきたため、公式の正解というものは存在しません。
民間伝承研究者や民俗学のフィールドワーク資料、大手ウェブメディアによる数万人規模の出身地別アンケート調査を統合分析すると、地域ごとの顕著な傾向が見えてきます。代表的なフレーズと地域的特徴を整理したデータが以下の通りです。
| 地方区分 | 代表的な続きの歌詞 | 主な特徴・出現頻度の高い語句 | 民俗・言語的背景分析 |
|---|---|---|---|
| 北海道・東北 | 赤とんぼ 黒とんぼ/油虫/ろうそく一本消えた | 赤とんぼ、油虫、ろうそく、めがね | 自然物や身近な生活用具の描写が多く、開拓移住者による北陸・東北系フレーズの混淆が見られる。 |
| 関東 | 鉄砲撃ってバンバンバン/もひとつおまけにバンバンバン | 鉄砲、バンバンバン、すずめ、おすまし | 明治以降の軍事教練やメンコ・玩具ピストルの流行が影響。リズミカルな破裂音が多用される傾向。 |
| 中部・北陸 | たまごが割れた/おせんべ焼けたかな/あぶらむし | たまご、おせんべ、あぶらむし、柿の種 | 東西文化の緩衝地帯。北陸の「油虫」と東海の「たまご・せんべい」など食生活や手遊び歌が混入。 |
| 関西(近畿) | なのになぜか柿の種/ぷっとこいてぷっぷっぷ | 柿の種、ぷっぷっぷ、あほ、たまご | 「通り(とおり)」からの母音展開と落差による笑い。上方演芸のボケ・ツッコミ気質が反映。 |
| 中国・四国 | ちちんぷいぷい/すずめの学校/山へ登って | ちちんぷい、すずめ、柿の種、金魚 | 呪術的フレーズやおとぎ話の断片が融合。瀬戸内を挟んで関西圏の影響を強く受ける。 |
| 九州・沖縄 | 太鼓を叩いてドンドンドン/ご飯粒/朝顔 | 太鼓、ドンドンドン、ご飯粒、梅干し | 祭礼芸能の囃子(はやし)や方言の語尾が結合。リズムの力強さと素朴な生活語彙が共存。 |

関西関東の歌詞の違い|「鉄砲撃ってバンバンバン」vs「なのになぜか柿の種」
地域間ギャップの筆頭として議論が白熱するのが、関東と関西における決定的な詞の差異です。この2つのバリエーションには、東西の文化風土と子どもたちの心理構造が極めてシャープに投影されています。
関東圏の支配的フレーズ「鉄砲撃ってバンバンバン」の系譜
首都圏を中心に東日本で圧倒的なシェアを誇るのが、「鉄砲撃ってバンバンバン」「もひとつおまけにバンバンバン」というミリタリー調のフレーズです。子ども文化の研究者によると、この言い回しの定着には近代以降の男児向け玩具の普及が深く関わっています。
大正から昭和初期にかけて、金属製やプラスチック製の銀玉鉄砲、火薬ピストルが街路の子どもたちの必須アイテムとなりました。「バンバンバン」という破裂音(半濁音と撥音の連鎖)は、テンポよく指を左右に往復させるリズムアクションとして極めて身体適合性が高く、東京を中心とする都市部の路地空間へ瞬く間に普及していったのです。
関西圏のミステリー「なのになぜか柿の種」の論理構造
一方、関西圏で育った人が「これが標準」と信じて疑わないのが、「なのになぜか柿の種」あるいは「ぷっとこいてぷっぷっぷ」という脈絡のない展開です。なぜ、神様の厳粛な言葉の直後に唐突な米菓の種が登場するのでしょうか。
言語学的な観点から分析すると、これは「言う通り(いうとおり)」の語尾「り」から「柿の種(かきのたね)」へと接続するアクロバティックな音頭取りです。「とおり」という重たい母音の余韻を、「なのになぜか」という接続詞で一度ちゃぶ台返しし、「柿の種」という乾いた日常名詞を叩きつける。この構成は、神聖な権威を落差によって相対化する上方特有の「脱臼のユーモア(ボケの作法)」そのものと言えます。
さらにそこへ「ぷっとこいてぷっぷっぷ」という排泄系の擬音が続くパターンは、幼児期に特有のスカトロジー趣味(ウンチやおならを面白がる心理)が純粋培養された結果です。意味の連続性を完全に破壊し、純粋な音の面白さだけで場を盛り上げる関西の子どもたちの言語感覚が浮き彫りになります。
北と南の独自進化|北海道の歌詞と九州地方のバリエーションを深掘り
東西の二大勢力にとどまらず、列島の南北端に位置する北海道や九州地方にも、他地域を驚かせるユニークな進化系が存在します。
北海道の歌詞に見る「赤とんぼ黒とんぼ」と北国の情景
北海道の道央や道南エリアで広く聞かれるのが、「赤とんぼ 黒とんぼ」「ろうそく一本消えた」というバリエーションです。一見すると哀愁すら漂うこのフレーズは、開拓期に移住してきた東北・北陸地方の人々が持ち込んだ手遊び歌が、冷涼な気候と溶け合って定着したものと推測されています。
「油虫」という言葉が入るケースも多く、これは東北地方北部から津軽海峡を越えて伝播した形跡を示しています。移住者の出身地ごとに異なる民俗が混ざり合い、独自のハイブリッドな歌詞として結晶化した好例です。
九州地方のバリエーションと方言による変化
九州全域では、「太鼓を叩いてドンドンドン」「ご飯粒」など、土着のリズムと生活実感が強く打ち出された歌詞が目立ちます。博多や長崎、熊本などでは、地域のお祭り(博多祇園山笠や長崎くんちなど)で耳にする太鼓の拍子が、「ドンドンドン」というフレーズとして自然にインストールされたと考えられます。
また、方言による変化も顕著です。歌詞の終わりに「〜たい」「〜ばい」「〜けん」といった断定の助詞が付加されるケースや、選択肢を迷う冒頭が「どっちにすっかいな」と九州方言に変化するなど、日常会話の語気と遊戯の境界が非常にシームレスである点が特徴的です。

数え歌の発祥と由来の真相|神聖な神託が子どもの遊び歌へ変貌した歴史
なぜ、子どもの遊戯歌の冒頭が「天の神様の言う通り」という神がかりなフレーズで統一されているのでしょうか。その発祥を遡ると、日本古来の信仰体系と民間習俗の深層に行き着きます。
古代の「くじ引き」と神意伺い(託宣)の系譜
民俗学において、偶然性に物事の判断を委ねる行為は、古くから「神意を問う神聖な儀式(卜占・託宣)」でした。室町幕府の第六代将軍・足利義教が八幡宮の籤引きによって選出された史実に象徴されるように、日本人は古来、人間の恣意的な思惑を排除し、神仏の決定に従うシステムとして「くじ」を神聖視してきました。
街角の辻に立って通りがかる人の言葉で吉凶を占う「辻占(つじうら)」や、社寺の境内で行われた吉凶の選定儀礼が、時代とともに世俗化し、江戸時代中期以降に子どもたちの遊戯の中へと組み込まれていきました。「天の神様の言う通り」という導入は、単なるおふざけではなく、「これは私個人の都合ではなく、天の采配である」という古代的な不可抗力の記憶を色濃く残しているのです。
大人の検閲をすり抜けた「口承文芸」の生命力
重要なのは、この歌が明治維新以降の国家的な唱歌教育のカリキュラムから完全に除外されていたという点です。学校の教科書に載らないということは、文部省の検閲も、教員による指導も受けないことを意味します。
結果として、大人が眉をひそめる「おなら」や「鉄砲」、ナンセンスな「柿の種」といったスラングが、子どもの口から子どもの耳へとダイレクトに受け継がれました。文字情報として固定されなかったからこそ、各地域の流行語や方言を取り込みながら、生きたアメーバのように変容し続けることができたのです。
【実態検証】利用者の生の声と現場目線で見えたリアル
この歌が単なるノスタルジーにとどまらず、いまなお日本人の記憶に鮮明に刻まれている背景には、子ども時代に誰もが経験した「ある心理的な企み」が存在します。現代のSNSやネットコミュニティに寄せられる体験談を検証すると、驚くほど共通した行動パターンが浮かび上がってきます。
「もひとつおまけに」に込められた帳尻合わせの心理
全国から集まる生の声の中で、極めて高い共感を呼んでいるのが「欲しい結果に当たらなかった時の歌詞の延長」です。
「天の神様の言う通り」で歌い終えた瞬間、自分の指差している対象が『嫌いな給食の余り』や『ハズレのお菓子』だった場合、子どもたちは即座に臨機応変なアドリブを発動させます。
- 「もひとつおまけにバンバンバン!」
- 「あっぷっぷのぷ!」
- 「柿の種、もういっちょ!」
このように語尾を無限に増殖させ、本来欲しかった対象に指が届くまで歌を終わらせない。これは心理学でいう「認知的葛藤の事後的回避」であり、神意を装いながら自分の欲望を滑り込ませるという、子どもなりの高度な政治的駆け引きが現場で行われていた実態を示しています。

一般に知られていない盲点とネットの誤解
インターネット上では、このわらべうたを巡って様々な言説が飛び交っていますが、学術的な事実とは異なる都市伝説や誤解も少なくありません。ここで客観的な視点から真実を整理しておきます。
誤解1:「地方ごとに厳密な正解テキストがある」という錯覚
ネットのまとめ記事などで「〇〇県はこの歌詞」と断定的に記載されていることがありますが、これは明らかな誤認です。実際には同じ市町村内、ひいては隣り合う小学校区や年代によってもバリエーションが劇的に異なります。
兄姉のいる子どもが別の校区からフレーズを輸入したり、テレビアニメのギャグが突発的に挿入されたりすることで、詞は常に流動しています。「自分の出身県とネットの記述が違う」と感じても、それは決してあなたの記憶違いではなく、口承文芸が本来持つ健全な地域揺らぎの証拠です。
誤解2:「昔の恐ろしい人身御供(生贄)の儀式が発祥」という都市伝説
オカルト系掲示板や動画サイトで定期的に拡散されるのが、「神様の言う通りは、生贄に捧げる子どもを選ぶための儀礼歌だった」という怪談です。
しかし、民俗音楽学や近代児童史の一次資料を精査しても、生贄伝説とこの数え歌を結びつける歴史的根拠は皆無です。前述の通り、起源は社寺の籤引きや辻占い、日常的な役決めの歌であり、近代以降に不条理なホラー解釈が後付けで付与されたインターネットミームに過ぎません。
【プロの結論】子どもの自治が生んだ言語芸術としてのわらべうた
「どちらにしようかな 天の神様の言う通り」の無数の派生形は、大人の管理教育に対する子どもたちの小さなレジスタンスであり、無意識の言語遊戯です。「神様」という不可抗力の権威を借りて自己責任を回避しつつ、最後は「柿の種」や「おなら」というナンセンスで権威を脱力させる――この見事なバランス感覚こそ、日本の子ども集団が何世代にもわたって継承してきた知恵であり、失われてはならない無形の生活文化財と言えます。
【どちらにしようかな 天の神様の言う通り】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:「なのになぜか柿の種」の柿の種は、米菓のお菓子ですか? それとも本物の果物の種ですか?
A1:諸説ありますが、昭和初期以降の駄菓子屋文化の隆盛と重なることから、米菓の「柿の種」を想起して定着したという見方が有力です。おとぎ話の『さるかに合戦』に登場する本物の柿の種と、身近な駄菓子としての柿の種という二重のイメージが、子どもたちの間で無理なく受容された要因と考えられます。
Q2:海外にも「どちらにしようかな」と同じような数え歌は存在しますか?
A2:世界中に全く同じ機能を持つ数え歌が存在します。英語圏における「Eeny, meeny, miny, moe(イーニー、ミーニー、マイニー、モー)」が代表格であり、フランスやドイツ、中国などでも、ナンセンスな言葉の羅列で指を差し、最後の音で対象を決定する遊戯が確認されています。偶発性に決定を委ねる心理は、全人類共通の文化現象です。
Q3:大人になってからこの歌を使うのは優柔不断の証拠でしょうか?
A3:決してそうではありません。行動経済学や意思決定論において、選択肢が多すぎて決断できない「選択麻痺」の状態に陥った際、ランダムな外部刺激によって意思決定を強制的に前に進める手法は合理的とされています。子どもの遊び歌は、大人の脳にとってもストレスを軽減する優れたセルフマネジメントツールと言えます。
まとめ:無数のバリエーションが物語る日本人の遊び心と言葉の豊かさ
子どもの頃、何気なく口ずさんでいた「どちらにしようかな 天の神様の言う通り」。そのあとに続くフレーズを振り返ることは、単なる幼少期の懐古にとどまらず、自分が生まれ育った土地の風土や、かつて所属していた子どもコミュニティの熱量を再確認する旅でもあります。
デジタル化が進み、あらゆる決定がアルゴリズムによって最適化される時代だからこそ、理屈を超えた「鉄砲」や「柿の種」の混沌としたエネルギーは、私たちに言葉本来の自由さと楽しさを教えてくれます。久しぶりに迷う場面に出会ったら、天の神様に委ねつつ、あなた自身のローカルな続きを口ずさんでみてはいかがでしょうか。 (出典: どちら に しよう かな 天 の 神様 の 言う 通り(Yahoo!ニュース))