坂東三津五郎の死因は膵臓がん|肺転移から最期までの闘病と歌舞伎人生を徹底解説
十代目坂東三津五郎さんの死因は、膵臓がんです。2015年2月21日午前2時3分、東京都内の病院で亡くなりました。享年59歳。本名は守田寿(もりた・ひさし)さんで、歌舞伎俳優としてだけでなく、日本舞踊坂東流の家元としても活躍した人物です。
2013年に膵臓の腫瘍を公表して手術を受け、2014年4月には歌舞伎の舞台に復帰。しかし、その後の検査で肺転移が判明し、同年12月に予定していた主演舞台も降板しました。復帰を果たしながら再び病状と向き合うことになった三津五郎さん。報道各社の当時の記事、日本俳優協会の公式略歴、歌舞伎情報サイト「歌舞伎美人」の訃報をもとに、病気と闘病の経緯、最後の舞台、そして五代目坂東八十助から十代目坂東三津五郎へと続く歩みを整理します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 死因:膵臓がん。2013年9月に腫瘍の切除手術を受けました。
- 闘病の経緯:2014年4月に舞台復帰したものの、同年9月の検査で肺転移が判明したと報じられています。
- 最期:2015年2月21日に59歳で死去。1月末にはインフルエンザと肺炎を併発して入院していました。
- 最後の舞台:最後の歌舞伎出演は2014年8月。舞踊を含めると、同年10月27日の小唄演奏会が最後の舞台記録です。
- 人物像:本名は守田寿。五代目坂東八十助として初舞台を踏み、2001年に十代目坂東三津五郎を襲名した名優です。
【死因の真相】坂東三津五郎はなぜ59歳で亡くなったのか
坂東三津五郎さんの直接の死因として報じられたのは、膵臓がんです。2015年2月22日付の日刊スポーツ、デイリースポーツなどの訃報記事は、膵臓がんのため21日未明に亡くなったと伝えています。
三津五郎さんは2013年夏、定期健康診断で膵臓に腫瘍が見つかったことを公表しました。同年9月に切除手術を受け、翌2014年4月には舞台復帰を果たします。しかし、復帰後も病気が完全に収束したわけではありませんでした。
2014年9月の定期検査で肺への転移が見つかったことが、2015年の訃報を伝える複数の報道で明らかになりました。三津五郎さんは治療を続けるため、同年12月に予定されていた一人芝居『芭蕉通夜舟』への出演を見送っています。
さらに、2015年1月末にはインフルエンザに感染し、肺炎を併発して都内の病院に緊急入院。2月17日に容体が急変し、その後いったん小康状態となったものの、21日午前2時3分に息を引き取りました。
ここで区別したいのは、膵臓がんが死因として公表されたことと、最期の時期にインフルエンザや肺炎を併発していたことです。肺炎を併発した事実は報じられていますが、肺炎だけを死因とするのは正確ではありません。膵臓がんの肺転移と療養中の経過を合わせて理解する必要があります。

【2013年の手術】膵臓の腫瘍公表から退院までの闘病
三津五郎さんが膵臓の腫瘍を公表したのは2013年8月26日です。7月中旬に受けた定期健康診断で腫瘍が見つかり、医師から入院して治療する必要があると判断されたため、9月の舞台を降板しました。
当時、三津五郎さんは歌舞伎座の「八月納涼歌舞伎」に出演していました。病気が見つかった後も8月公演を務め上げましたが、翌月の「九月大歌舞伎」と歌舞伎座特別舞踊会は休演。8月31日に入院し、9月3日に手術を受けています。
2013年10月2日の退院会見について、日刊スポーツやデイリースポーツは、手術で膵臓の約半分と脾臓を摘出したことを伝えました。手術時間は約3時間半。腫瘍は悪性と判明し、本人も膵臓がんだったことを明らかにしています。
手術後は療養と治療を優先し、11月の地方巡業と12月の歌舞伎座公演も休演しました。復帰を急ぐだけでなく、体力の回復と治療に時間を充てる必要があったためです。
2013年の経緯で注目したいのは、健康診断で腫瘍が見つかり、舞台を休んで検査と治療へ移ったことです。膵臓がんは初期に目立った症状が現れにくい場合があり、発見時の状況や病状は患者によって異なります。三津五郎さんの経験を、すべての膵臓がんに当てはまる経過として捉えることはできません。
【2014年の舞台復帰】肺転移が判明し、再び治療に専念
手術後の療養を経て、三津五郎さんは2014年4月、歌舞伎座の「鳳凰祭四月大歌舞伎」で舞台に復帰しました。出演した演目は『壽靱猿(ことぶきうつぼざる)』です。2013年9月の手術から約7か月、舞台への本格復帰までには治療と体力回復の期間が必要でした。
復帰後は歌舞伎に加え、テレビドラマ『ルーズヴェルト・ゲーム』にも出演。闘病前から続く俳優としての活動を再開し、舞台以外でも存在感を示しました。ただし、公の場で活動できていたことと、がんの再発・転移の可能性がなくなったことは同じではありません。
2014年9月、定期検査で肺転移が判明したと当時の報道で伝えられました。所属事務所と舞台主催者は、加療が必要との判断を受け、12月に予定されていた『芭蕉通夜舟』を降板し、治療に専念することを発表しました。
ORICON NEWSやシネマトゥデイが報じた当時の発表では、三津五郎さんは入院せず、通院しながら具体的な治療方法を医師と検討しているとされていました。本人は作品への思いを持ちながらも、ほぼ一人芝居という作品の性質を踏まえ、体調不良で関係者に迷惑をかけることを避ける判断をしています。
一度は舞台復帰を果たしたものの、肺転移が判明したことで再び治療を優先する生活へ移りました。2014年の経緯は、復帰が必ずしも病気の完治を意味しないこと、そして舞台に立つ責任と健康上の判断を両立させる難しさを示しています。

【最期の経緯】2015年2月21日、59歳で死去
2015年1月末、三津五郎さんはインフルエンザに感染し、肺炎を併発したため、東京都内の病院に緊急入院しました。膵臓がんの治療を続けていた時期に、呼吸器の感染症も重なったことになります。
入院中も、三津五郎さんは坂東流の家元としての役割を果たそうとしていました。2月7日と8日には一時外出し、日本舞踊坂東流の名取試験に立ち会っています。また、2月8日にはNHK BSプレミアムの番組『美の壺』の収録を自宅で行ったことが、当時の報道で伝えられました。
しかし、2月17日に容体が急変。その後いったん小康状態となったものの、2015年2月21日午前2時3分、家族に見守られながら亡くなりました。59歳でした。
訃報は翌22日に広く報じられ、歌舞伎界だけでなく、テレビや映画を通じて三津五郎さんを知る人々にも大きな衝撃を与えました。2013年の手術後に舞台へ戻っていたこともあり、復帰から約10か月で再び舞台に立てなくなり、亡くなった経緯は多くの人の記憶に残っています。
三津五郎さんは、病気のために活動を制限されながらも、家元としての務めや収録などを続けていました。ただし、最期まで活動していたことを、病状が軽かった証拠と解釈することはできません。公の仕事を続ける姿と、医療上の病状は分けて理解する必要があります。
【十代目坂東三津五郎の経歴】本名・守田寿から五代目坂東八十助へ
坂東三津五郎さんは1956年1月23日、東京都に生まれました。本名は守田寿。父は九代目坂東三津五郎で、三津五郎さん自身も歌舞伎の名跡を継ぐ家系に生まれています。
日本俳優協会の公式略歴によると、1957年3月に明治座『傀儡師』の唐子で初お目見得。1962年9月、歌舞伎座の『鳥羽絵』『黎明鞍馬山』などで五代目坂東八十助を襲名し、初舞台を踏みました。その後、2001年1月・2月の歌舞伎座公演で十代目坂東三津五郎を襲名しています。
芸域は広く、時代物や世話物、新作歌舞伎から舞踊まで、幅広い役柄を演じました。特に舞踊の名手として評価され、立役だけでなく女方にも定評がありました。日本舞踊坂東流の家元として後進の育成にも携わり、歌舞伎俳優としての活動と伝統芸能の継承を並行して担っていました。
また、坂東三津五郎さんは坂東巳之助さんの父親としても知られています。長男の巳之助さんも歌舞伎俳優として活動しており、三津五郎さんの死去後は、名門の芸と家の伝統を次世代へつないでいく存在として注目されました。
以下は、日本俳優協会の公式略歴と「歌舞伎美人」の訃報記事、当時の報道をもとにした主な年表です。
| 時期 | 出来事 | 詳細 |
|---|---|---|
| 1956年1月23日 | 誕生 | 本名は守田寿。九代目坂東三津五郎の長男として生まれる。 |
| 1957年3月 | 初お目見得 | 明治座『傀儡師』の唐子で初お目見得。 |
| 1962年9月 | 初舞台 | 五代目坂東八十助を襲名し、歌舞伎座で初舞台。 |
| 2001年1月・2月 | 十代目を襲名 | 歌舞伎座公演で十代目坂東三津五郎を襲名。 |
| 2013年7月〜9月 | 膵臓の腫瘍発見・手術 | 7月の健康診断で腫瘍が見つかり、9月3日に切除手術。 |
| 2014年4月 | 舞台復帰 | 歌舞伎座「鳳凰祭四月大歌舞伎」の『壽靱猿』で復帰。 |
| 2014年8月 | 最後の歌舞伎出演 | 歌舞伎座で『たぬき』の柏屋金兵衛、『勢獅子』の鳶頭を演じる。 |
| 2014年9月 | 肺転移が判明 | 定期検査で肺転移が見つかったと報じられ、治療を優先することに。 |
| 2014年10月27日 | 最後の舞踊の舞台 | 国立劇場小劇場の田村会「小唄演奏会」で『田村』『髪結新三』に出演。 |
| 2015年2月21日 | 死去 | 膵臓がんのため東京都内の病院で死去。享年59歳。 |
受賞歴も豊富で、2006年に日本芸術院賞、2009年に紫綬褒章、2013年に毎日芸術賞、2014年に読売演劇大賞最優秀男優賞を受けています。2014年の受賞は、病気による休演を経験しながらも、長年にわたる演技と舞踊の実績が評価されたものです。

【プロの結論】最後の舞台と闘病の経緯から見える三津五郎の功績
坂東三津五郎さんの最後の舞台を調べる際には、「最後の歌舞伎出演」と「舞踊を含む最後の舞台」を区別することが大切です。「歌舞伎美人」の訃報記事によると、最後の歌舞伎の舞台は2014年8月の歌舞伎座公演でした。一方、舞踊の最後の舞台は、同年10月27日に国立劇場小劇場で開かれた田村会の「小唄演奏会」です。
歌舞伎最後の出演となった『たぬき』では柏屋金兵衛を、『勢獅子』では鳶頭を演じました。舞踊の最後の舞台では『田村』『髪結新三』に出演しています。つまり、歌舞伎の舞台を降りた後も、舞踊に関わる活動を続けていたことが公式略歴に記録されています。
また、坂東三津五郎さんの功績を歌舞伎の名跡だけで捉えるのも十分ではありません。時代物、世話物、舞踊、新作歌舞伎など多様な領域で演技を磨き、坂東流の家元として日本舞踊の継承にも力を尽くしました。舞台俳優と伝統芸能の指導者という二つの役割を担ったことが、その活動を特徴づけています。
病歴についても、2013年の手術、2014年4月の復帰、同年9月の肺転移、2015年2月の死去という順序を押さえると、報道された事実が整理できます。「舞台に復帰できたから完治していた」「肺炎が唯一の死因だった」といった単純な理解では、実際の経過を正確に捉えられません。
三津五郎さんの歩みは、病気による休演と復帰を経ても、舞台芸術への関わりを続けようとした俳優の記録です。その功績は、最後に出演した演目だけでなく、長年の歌舞伎、舞踊、家元としての活動を合わせて評価することで、より明確になります。
【坂東三津五郎死因】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:坂東三津五郎の死因は何ですか?
A1:膵臓がんです。2015年2月21日午前2時3分、東京都内の病院で亡くなりました。享年59歳と報じられています。
Q2:坂東三津五郎はいつ膵臓がんの手術を受けましたか?
A2:2013年9月3日です。7月の定期健康診断で膵臓の腫瘍が見つかり、9月に切除手術を受けました。手術では膵臓の約半分と脾臓を摘出したと報じられています。
Q3:坂東三津五郎の肺転移はいつ判明しましたか?
A3:2014年9月の定期検査で肺への転移が判明したと、2015年の訃報を伝えた複数の報道で説明されています。その後、治療に専念するため、同年12月に予定されていた『芭蕉通夜舟』を降板しました。
Q4:坂東三津五郎は舞台に復帰していましたか?
A4:はい。2014年4月、歌舞伎座の「鳳凰祭四月大歌舞伎」で『壽靱猿』に出演し、舞台復帰を果たしました。ただし、その後に肺転移が判明し、再び治療を優先することになりました。
Q5:坂東三津五郎の最後の舞台は何ですか?
A5:最後の歌舞伎出演は2014年8月の歌舞伎座公演『たぬき』『勢獅子』です。舞踊を含めた最後の舞台は、同年10月27日の国立劇場小劇場での田村会「小唄演奏会」とされています。
Q6:坂東三津五郎の本名と、息子の名前は何ですか?
A6:本名は守田寿(もりた・ひさし)さんです。長男は歌舞伎俳優の二代目坂東巳之助さんで、三津五郎さんは日本舞踊坂東流の家元も務めていました。
まとめ:坂東三津五郎の死因と歌舞伎界に残した功績
坂東三津五郎さんの死因は膵臓がんです。2013年に腫瘍を公表して切除手術を受け、2014年4月に舞台復帰を果たしましたが、同年9月には肺転移が判明。治療に専念する中、2015年1月末にインフルエンザと肺炎を併発し、2月21日に59歳で亡くなりました。
五代目坂東八十助として初舞台を踏み、2001年に十代目坂東三津五郎を襲名した三津五郎さんは、歌舞伎の幅広い役柄を演じるとともに、舞踊の名手、坂東流の家元としても伝統芸能を支えました。最後の歌舞伎出演は2014年8月、舞踊を含む最後の舞台は同年10月27日です。
死因だけでなく、手術から舞台復帰、肺転移、最後の舞台までを時系列で追うことで、三津五郎さんが歩んだ闘病の経緯と芸の足跡が見えてきます。今も残る舞台映像や出演記録、公式略歴は、歌舞伎と日本舞踊に尽くしたその功績を知るための重要な手がかりです。 (出典: 坂東 三津 五郎 死因(Yahoo!ニュース))